武士道
現代でこそ小説や映画、劇によく題材として使われる武士や侍。実際の武士に刀を抜く事は滅多になかったそうだが、上記の様な作品では日常茶飯事の様に派手な斬り合いを行っている。同じ日本人なのにどうしてこうも格好良く扱われるのか。それには現代人の憧れが当時の彼らを誇張させているのではないかと考える。つまり、今とは真逆なのだ。 イギリス人から見た当時の日本人を基にした私のイメージでは良い面として、現代のアウトローに通ずる連帯感が存在している様に感じる。感情的事情を理由に行動が出来る程に人間関係が濃厚なのだ。これは、主君の命令や自分の言動に、自分の人生のみならず直接命がかかっているからとも言える。また、この感情的なところは悪い面でもある。科学や法が発展していなかったからか、刑罪や死体の扱い方に今では残虐非道と感じる行いが存在した。辻斬りや間引き等も同様である。切腹を覚悟したりと命に対し尊厳は高いようだが、価値は低い様に受け取れる。今では左遷や自主退職といった処罰も、面子を大切にする余りに切腹を命ぜられ命を無駄にする事もあったのではないか。いや、当時からしたら無駄では無いのだろう。彼らにとって自ら命を経つことは生を放棄する「逃げ」ではなく、勇気ある生を全うした「名誉」なのである。しかし、私にはその名誉ある死をも回避する道を切り開こうとするべきであると考える。子育てに関しても、個性を尊重し育てる様な感受性や○○したいという要望より、武士らしい教育と言ったとある教えの通りに、皆と同じような教育を受けさせようとしているのではないか。それでいて怒りや苛立ち等表に出さず、無用な争いを避けようと体裁を保ち仮面を被っているだなんて大量生産のロボットの様に感じられる。優れた武士(上に忠実に業績をはかる者)を育て上げる為の基本方針なのだろうが。それでは自由にのびのびと自分の考えを持ち、自分の好きに生きようとする子供が育たないのも頷ける。 規則に厳し過ぎるところも、現代では息苦しいだけにも関わらず命懸けだと格好良く映るからこそ貫けるのではないか。
また、上記にあるように現代人の憧れが如実に現れているように感じられる。脱サラ、独立、立派な職業へ就職と言った夢を見るものの実行出来る人間は中々いない。今は社畜という言葉の通り、家畜の様に働いている。そこには上司の尊厳、部下への信頼と言ったものが存在するのだろうか。情熱を持って仕事に向かい合えるのだろうか。現代人は感情的な出来事を起こせず仕事に誇りも持てず死を迎えるまで退屈なのかもしれない。つまり逆を言えば、武士達は死ぬ直前まで誇りを抱き、威厳を持っていると言えるのである。 最後に、注目したいのが男色である。武士の間だけでなく戦時中の兵士や自衛隊等、それ以外にもセクシャルとして現代に広まりつつある。しかし、当時は今のようなタブー感は無く嫁子供関係無しに、ごく当たり前のように存在した。遊びの時期も、命をかけた恋愛の時期もまちまちな様だが知識と食の欲求が中々満足出来なかった時代だと考えると、性の欲求を可能な限り追い求めることは自然なことなのかもしれない。 如何に自分の人生を全う出来るか、芯を持った生き方であると思う。