無記入
生きるのが辛かった時期がある。
多分、誰にでもある。
私以外の人がそうなっている時、とても辛かった。
大事な人ほど、見ていてとても辛かった。
見ているのが辛かったので、色々頑張ってみた。
うまくいった時もあったし、意味がない時もあったし、うまくいかない時もあった。
生きるのが辛いのに生きているのは、本当にしんどい。
すごく辛い。
私は、教育者としてはたまに叩かれるのだけれど、自殺肯定派です。
あの苦しみから逃れるためには、仕方のないことだと思っているから。
その時なりに、幸せに向かえているのだから。
「止まない雨はない」
「いつか必ず幸せになれるから耐えろ」
そうだろうか。
そうだと良いね。
でも、こんな今を、これ以上耐えてじゃないと手に入れられないものならば、いらないよ。
そう思った。
だから、仕方ない。
止めるなら、変えてくれ。
この苦しみを消してください。
心の傷も消してください。
どっちも無くならないともう無理です。
そういう気持ちを、知っている。
だから、自殺を選ぶ人を私は責めることができない。
ただそこで想うのは、そんなに傷つく何かの原因を抹消したい。
そもそもの元凶が起こらなければ良いのにって。
まずあらゆる人が常に人の尊さを意識できる世の中にしたい。
そして、そういう気持ちになってしまうもっと前に、生き抜く術を知っているか否か。
知っておいてほしい。
知った上での決断なら仕方ない。こちらも諦めがつく。
ただ、知らない上での決断だったら、それはとても悔しいなって思ってしまう。
それは決して私が「結局生き続けた方が良いと思っているから」という考えのもとではなく、
結局はその賛否を本人にしてもらいたいから。
生き抜く術を知っていて、それでも死を選ぶならばきっとそれが正解だったんだろう
きっと 頑張って頑張って頑張って それでもどうしようもなくボロボロで 手の施しようがなくって それで選んだ決断なら 誰も何も言えないよ
近くで見ていた人ほど もう どうしようもできなかったのならば
ただ、生き抜く術を知らずに、生き抜けたのに死を選んでしまうのは悲しい。
本人も周りの人も後悔しないよう、
足掻けるうちに足掻いて欲しい っていうだけ。
結果じゃなくて、過程の問題。
はぁ 世の中の死ぬほど辛く嫌なことなくならないかな〜〜〜〜