無記入
- 清水 ゆかり
- 2017年5月6日
- 読了時間: 2分
生きるのが辛かった時期がある。
多分、誰にでもある。
私以外の人がそうなっている時、とても辛かった。
大事な人ほど、見ていてとても辛かった。
見ているのが辛かったので、色々頑張ってみた。
うまくいった時もあったし、意味がない時もあったし、うまくいかない時もあった。
生きるのが辛いのに生きているのは、本当にしんどい。
すごく辛い。
私は、教育者としてはたまに叩かれるのだけれど、自殺肯定派です。
あの苦しみから逃れるためには、仕方のないことだと思っているから。
その時なりに、幸せに向かえているのだから。
「止まない雨はない」
「いつか必ず幸せになれるから耐えろ」
そうだろうか。
そうだと良いね。
でも、こんな今を、これ以上耐えてじゃないと手に入れられないものならば、いらないよ。
そう思った。
だから、仕方ない。
止めるなら、変えてくれ。
この苦しみを消してください。
心の傷も消してください。
どっちも無くならないともう無理です。
そういう気持ちを、知っている。
だから、自殺を選ぶ人を私は責めることができない。
ただそこで想うのは、そんなに傷つく何かの原因を抹消したい。
そもそもの元凶が起こらなければ良いのにって。
まずあらゆる人が常に人の尊さを意識できる世の中にしたい。
そして、そういう気持ちになってしまうもっと前に、生き抜く術を知っているか否か。
知っておいてほしい。
知った上での決断なら仕方ない。こちらも諦めがつく。
ただ、知らない上での決断だったら、それはとても悔しいなって思ってしまう。
それは決して私が「結局生き続けた方が良いと思っているから」という考えのもとではなく、
結局はその賛否を本人にしてもらいたいから。
生き抜く術を知っていて、それでも死を選ぶならばきっとそれが正解だったんだろう
きっと 頑張って頑張って頑張って それでもどうしようもなくボロボロで 手の施しようがなくって それで選んだ決断なら 誰も何も言えないよ
近くで見ていた人ほど もう どうしようもできなかったのならば
ただ、生き抜く術を知らずに、生き抜けたのに死を選んでしまうのは悲しい。
本人も周りの人も後悔しないよう、
足掻けるうちに足掻いて欲しい っていうだけ。
結果じゃなくて、過程の問題。
はぁ 世の中の死ぬほど辛く嫌なことなくならないかな〜〜〜〜
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