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障害とは?またその基準とは

  • 執筆者の写真: 清水 ゆかり
    清水 ゆかり
  • 2017年5月6日
  • 読了時間: 2分

「障害」と聞いて、まず最初に何が頭に浮かびますか?

障害者(障碍者・障がい者)って言葉が連想された人

ハードル等の障害物が頭に浮かんだ人

例を2つ挙げてみたとしても、大多数の人が前者だと思います。

私が発達障害の勉強してるからかもしれないけれど、それでもやっぱり今の世の中はそういうイメージだと思う。

でも、私の思う「障害」は違うの。

「ものごとの達成や進行のさまたげとなること、また、さまたげとなるもののことである。」(Wikipediaより)とあるように、ただの妨げなの。

何かが悪いだとか、どこかが悪いだとか、普通と違うとか、そういうのではなくて

望んだ道に立ちはだかる壁。

ただの壁。それだけ。

その壁は、人によって大きさが違うと思う。

現れる場所も、現れ方も、実際の大きさも、存在感の大きさも。

そしてその壁の対応の仕方も、人それぞれ。

乗り越えるかもしれない。遠回りするかもしれない。ぶつかってみて壊せたり壊せなかったり、人や物に頼って壊せたり壊せなかったり。ただ目の前にあるのを眺めていて、取り除かれるのを待っていたり。意欲的に見たり。絶望したり。踏み台にしたり。言い訳にしたり。

そんな存在。

それは、いわゆる発達障害といったものであるかもしれない。身体的なものかもしれない。

文化や環境、年齢で起こったものかもしれない。

「うまくいかない」と、苦しむこと。それがが障害なの。

もし目が悪くて、全然見えなかったらその人は「障害」を持っているけれど、

メガネをかけて見えるようになったらその人はもう「障害」を持っていない。

好きな人に告白したいけれど、怖い気持ちがあって実行できないなら

その臆病さや相手の気持ちが分からないということが「障害」

とにかく今、その人が苦しかったり生きづらいかどうかが判断基準なのだと思っています。

もちろん、科学的な検査で認定される定義の障害もあります。

でもそれって、自分や他人が人に説明する時に容易いから定義付けておこうってだけのもので

その人の所属リストになる訳じゃ無いと思うのです。

だから、分類されておくのはどこかで便利ってだけの認識で、それにとらわれるのは違うと思う。

でね、それって誰のせいでも無いの。

人によって、その障害の種類は違っていて、そういうものなの。

そしてそれは、生き易くするためにどうにか扱わなくちゃいけないの。

どんな方法でも良いから。

ただ、そのままにしてると、ずっと苦しい。目の前が真っ暗。

だって壁の前に立ち止まっているのよ?

そりゃ暗いし先は見えないし不安よ。

そういうもの。


 
 
 

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