論文を書こうと思った理由ってやつ
私はみんなに「生きる力」を身につけて欲しい。
「身に付けさせたい」って言い方をすると、ちょっと押し付けがましいから「身に付けてくれると嬉しいな」ってくらいのニュアンス。
身の程知らずなのだけれど、私はみんなに幸せになって欲しくって、でも私はちっぽけな人間だから、全ての人の傍にいて全ての人に尽くして全ての人を幸せにするっていうことは出来ないの。私が関われる人は限られているし、その中でも私ができることってとてもとても少なくて、それすらその人にとってはそよ風の様な程度のことだったりもしてしまうの。
はっきり言って、とても効率が悪いの。
私にできることは、私にできる範疇ででも、できる限りやれば少しでもマシになるんじゃないかって思っていたことがあった。
けれど全然だった。本当に世界は広くて、人の心って深くて、私なんかがいくら頑張っても影響を及ぼせる範囲はちっぽけなものだった。砂浜に混じった一本のまつげみたいに、世界的に見たらほぼあってもなくても変わらない程度のどうでも良いどうもしないものだったの。
勿論、私から影響を受けてくれて、少しは幸せになってくれた人もいる。
けれど、かなり残念なことに、私は欲張りだったみたいで、それじゃあ満足がいかなかったの。とてもとても尊いその現象を、もっともっと沢山広めたかったの。
なぜなら世界には悲しみが溢れているから。私は悲しみを体験して、その「悲しみ」ってやつがどれほど辛いかを知ってしまって、こんな感情が世の中に充満しているだなんて、もう考えただけで恐しっくって。そいつをどうにかしたいとか思ってしまったの。
だから私は、全ての人を幸せにすべく、全ての人に幸せになってもらえる方法を知っておいてもらおうと思ったの。
私が「してあげる」のではなく、私はきっかけという肥料を撒くだけの存在で居たくって、芽を出して育っていくのは本人の力にお任せするという、そういうバランスを取ろうと思ったの。
そんなこんなで、「幸せに生きる術を身につける方法と能力とそのきっかけ」=(生きる力)を皆さんにお伝えしたいと思った次第なのでありますよ。