また障害の話きたよ
私は、誰もが障害を抱えて生きていると思っている。
それは、誰もが悩みを持って生きているのと同じ。
私の考える障害が
「定型発達と異なる」では無く
「望んだ道の妨げになるもの」だから。
もちろん、「定型発達と異なる」の発達障害の状態も、障害と言える。
けれどそれは、『「定型発達と異なる」から障害』なのでは無く、
『望んだ道(定型発達の感覚)と異なり、うまくいかなかったり苦しかったりするから障害』なのだと思う。
ほら、「ガッキーみたいに可愛くないから不幸」とか、そういう安直で単純なものじゃないのよ。
もしガッキーの顔になりたかったらその人には当てはまるかもしれないけれど、でもその人にしか当てはまらないわ。
自分がどうありたいか、それと比較して、今どうなのか。
そのギャップが苦しみの原因で、それは自分のどうありたいか像や今どうなのかによって人様々。
私は、感音性難聴を持っているのだけれど
感音性難聴という事実は、大事な人と内緒話をしたい時には障害になる。
けれど、普段の生活で人と話す時は感音性難聴という事実は全く障害にならない。
ケースバイケースね。
名前のある障害があるからって、私はいつでもどこでも障害者なわけじゃない。
(普段忘れているし)
自分が不都合を感じた時にだけ現れるもの。
そういうものって、意外とみんな持っている。
数学が苦手な人が、受験科目に数学が必要だったりしたらきっとその時数学という科目は障害で、
あがり症の人は、みんなの前で発表なんて課題の時、きっとそれが障害になる。
でもそれってその時だけの問題。