人のために生きたい と
そう言う私が、何で表現活動を仕事にしたいと思ったのか
自己満足の塊だと言われる 趣味の世界だと言われる
そんな世界に そんな世界を なんで選んだのか
監察医だったり 心理カウンセラーだったり
獣医だったり スタイリストだったり 教師だったり
「なりたい職業」として答えてきたものは たくさんありました
でも私はいつだって「その職業」の人になるのが目的じゃなく
それはあくまでも手段であり、目的はいつだって人のためになることでした
なぜその目的を達成するための手段を、芸術に委ねたのか
転機は心を病んだ時だったと思います
私が一番最初に心を病んだのは
小学生の頃でした
たかだか小学生 と思う人もたくさんいるでしょう
私の周りにいた大人たちも そんな人たちでした
私は運の悪いことに、とても早熟で
そしてもっと運の悪いことに、生まれつき罪業妄想に取り憑かれていました
無邪気な年頃の中にポツンと、多感で過敏な自分が放り込まれていたのです
誰も悪くありません
でもだからこそ 自分のせいにしかできない
こんなに苦しいのは当たり前で
みんなは隠すのが上手なんだと思っていた
でも大人に気づかれて 怒られて
最初はなんで怒られるのか分からなくて
あぁ、これは「気づかれた」のではなく「バレた」と捉えるのが正しい行為だったのかと 初めて自覚して
でもネットには私みたいな人たくさんいるのに
なぜ私だけ許されないのだろうか なぜ現実には許されないのだろうか
とてもとてもびっくりした
だから隠すことを覚えた
怒った大人たちは
私の思考回路を読み取っていたのだろうかと 思い返しても 分からない
恵まれた環境で 暖かい家庭で育った私の そんな私の心を病んだ行動は
ただの「気まぐれ」や「ちょっとした間違い」として処理されていたと思う
今思い返しても 理解できないんだもの
心にしっくりきてない
とにもかくにも
悲しいことに
申し訳ないことに
心を病むことは 私にとっては珍しいことではありませんでした
年を重ねれば重ねるほど
もっともっと どんどん複雑なお年頃になるほど
周りももっと複雑になるほど
社会的にすごく嫌な目にあったり
辛い辛い時期があって
中学と高校の頃は本当にどん底で
特に高校生の時なんて
全然学校にも通えてなくて
体にも醜いものがたくさんあって
でも そういうのは隠すものだって
早い内から身に染みて知っていたから
気を使わせるのだけは 恐ろしいほど大嫌いだったから
(途中までは)クラスメイトにもちゃんと隠せていて
嫌な目にあっていても
自分なんかがって 自分自身を卑下していたから
当然だと受け入れてしまっていて
心が麻痺していました
悲しいものや苦しいもので 私の体の中がいっぱいになっていた
自分を見返すと 情けないものや申し訳ないものや
嫌なことや怖いことや辛いことで
いっぱいいっぱいでした
少しでも夢中になれるものがあると
それはもう すごく救いになって
私は取り憑かれたかのように大好きになりました
好きなものを考えていれば
何かに夢中になっていれば
対象を外に向けていれば
きったない自分なんか目にしないで済むんです
すごくすごく救われました
何かに熱中できるって とても救われることでした
それに気づいてから
無意識にしか考えていなかった趣味の活動を
意欲的に 本格的に考えるようにしました
過呼吸が出そうになったら呼吸を整えるように
沈みそうになったら カラオケに出かけたり絵を描いたり課題をしに残ったり 友達を誘ってお話をしたり
そうやって自分をコントロールする方法を知れました
今までも人に電話したりBBSで会話したりしてたけど あれは気休めだった
これは切り替え
すごく画期的でした
私も人を夢中にさせるものを作りたいんです
ワクワクさせたい
心の中のモヤモヤをストップさせて ふっ飛ばさせて
キラキラさせて
すっきりさせたい
ジェットコースターに乗せたい
そのために、表現者になりたいんです
そういう方法で
自分が一番救われたことの方法で
人のためになりたいんです
体の病気もそれなりにしたけれど
体の病気はね 比較的確実に信頼できる科学とお医者さんと言う存在が もういるの
人にも説明できるの
原因も治療法も期限も 大体解明できるの
解明できなくっても 「解明できない」という立派な言い分があるの
分かってもらえるの
許されるものなの
でも、心の病気は 信頼できる人や物が全くなくて 人によって
説明も難しくって
分かってもらえないこともあって
なんかもう
よくわかんない
難しい
ただただ惨め
だからこそ
心に寄り添う人でありたい
心を支える人になりたい
心に刺激を与えて 元気をあげられる人になりたい
ちょっと思ったから
記録として書いてみた
はぁ
今 夢中になれることがあって
人と堂々とい会える自分で
私は幸せだなぁ