生きる力
シンプルに 学習指導要領を読み返さずに意見を整理しておくと 私の考える「生きる力」は「人と共に行動する力」 生きる=行動することだから 何故、人と共に? 生きていくためには金を稼ぎ、それに必要なスキルの一つとしてコミュニケーションが大切と考えるからです
自分を客観視する力 伝えたい概念を形にする言語能力、デザイン構成力 他者の気持ちを汲み取る力 その様々な能力は「交渉力」が高まります 人と渡り歩く能力が身に付くのです その目的を元に 自分にはどんなアプローチが向いているのか 個性を自覚させ、自分なりに能力を高めさせる
その目的を達成させるためなら、内容や方法は人それぞれだと思うのです でも日本は学習指導要領体系のカリキュラム化されたシステムなので、教科ごとにある程度のベースが必要 ただそれだけ な はず 教師はあくまでは支援者 子供たちは教わるんじゃなくて 学んでいく が、理想
あと発達段階における能力は 支援しやすく理解しておくだけのハウツーであって その能力を身に付けさせる と目指すものじゃあ無い そして何を身につけさせたいのかに対して具体的なビジョンが見えない 例えそれが身につかなかったらどうなるの?どういう子に育ってどういう弊害が起こるの?
美術科は高校生まであるけど必須じゃないからね そもそも義務教育期間は中学生までな時点で 中学生までに身につける能力を優先的に考えるべき でもここで順番を間違えちゃいけない あくまでも子供は小学生から育っていくんだ だから順番は小学校〜であるべき
そもそも学習指導要領を改訂していく某機関が何を見ているのか 何を見て、どこに何を必要と感じて改訂したのかが、現場の教員と異なっているんだよ 社会全体像 社会の流れ 及びPISA等の数値化された学力の動向から物事を見ている それ、そこから現在必要な「生きる力」が見えるの???
それぞれ何が見えるかはどこに立っているかで異なるのは当たり前だ だからそれは仕方ない それで良い でもみんながみんな別々のものを見ながら同じ理想を持つってやはり難しくて 学校という現場でしか見えないもの 会社という社会でしか見えないもの もっと広く別の 界隈でしか見えないもの
みんな違うんだよね〜 それぞれ「こういう力を身につけて欲しい」って望んでるものが違うんだよね〜〜〜 自分を主体に「相手がこうだととっても助かる!」って能力を身に付けさせたがるんだよ それをぼや〜とひっくるめて濁しているように感じるのだよ